老婆心
『なんでフィルターに通さずに、そのまま受け入れる事が出来ないんだろう?』
いつだったか、何の雑誌だったかすっかり忘れてしまったけれど、
ケンちゃんがそう言ってたことがあります。
「なんでフィルターに通さずに、そのまま受け入れる事が出来ないんだろう?」
↑
大事なことなので2回言いました(笑
ケンちゃんが20歳くらいの時かな?
これを言った前後の脈絡はすっかりキオクのカナタだけれどね
なんでこのことを思いだしたかと言うと、前号のピクトでケンちゃんが似たようなことを言ってたからです。
読みなおそうと思ったら肝心のピクトは行方不明←だし、2か月前のことなのであんまりよく思いだせないんだけど
情報の取捨選択みたいなことについて話したんだっけ?
「いろんなニュースを読む時に、長いのじゃなくて短い簡潔なのだけ読むようにしてる。
長いのは編集者のバイアスがかかってると思うから。」
みたいな話。
キオクがアレなので間違ってたらごめんなさい~
それを読んだ時、
ケンちゃん!
それはデンジャラス過ぎるべさ~
と、ミジンコは思ったのでした。
短い簡潔なニュースこそ用心しなければならない。
簡潔だからフィルターがかかってないと信じるのは危険じゃないかな~?
簡潔だから物事の事実だけを伝えているとは限らない。
主語を何にするか、ということだけにも本人の自覚なしにフィルターは掛かっています。
フィルターを持たない人間なんていないもの。
短く簡潔なニュースだけで情報を得るということは、書いた人のフィルターを丸ごと受け入れてしまうことになりかねません。
できるならば一つのニュースについていろんな記事を全部読んだ方がいい。
全部読んで、その中から整合性のある事だけを拾い上げた方がいい。
でも、整合性があるからと言ってそれが事実とは限らないこともまた心しておくべきだ。
近頃の、ジャーナリズムを失いかけてる日本の(世界中似たようなものだけど)マスコミの記事ならば尚更そうした方がいい。
「そういうことか・・・でも、もしかしたら違うかも・・・?」
という余白は常に残しておくべきでしょう。
プロパガンダに乗せられてきちんと検証して考える能力を失わないように、そこはいつも心しておきたい。
まあ、ケンちゃんは賢いからそんなことは百も承知だろうけどね。
これも老婆心と言うやつですな
で、話は戻るけど、
『なんでフィルターを通さずに、そのまま受け入れる事ができないんだろう?』
と言ったケンちゃんの言葉で思い出した聖書の一節があります。
『先ず己の目の梁(うつばり)を取り除け。
されば良く見えて、兄弟の目より塵を取り除き得ん』
はっきり覚えてないんだけど、マタイ伝だったかな・・・・?
「自分の目のフィルターを外せば、くっきりすっきりはっきり良く見えるようになって、他の人の目の塵(フィルター)もはずすことができるようになるよ!」
って、イエス様がおっしゃたよ!と、マタイが伝えてます。
イエス様の時代から、いえ、そのずっと以前から、人はフィルター越しに世界に向き合ってたってことですよね。
まあ、実際の話、悟った人でもない限りフィルターを持たない人間はいないよね~。
と言うか、フィルター越しに世界を見ていることに気づいてない人だって沢山いると思う。
生まれ育った土地、生まれた時代。お父さんの口癖お母さんの愚痴。
流行っていたファッション、音楽、本、時代の空気。
担任の先生の思想や口癖、出会った友だちの感じ方考え方。
いろんなものがごっちゃに流れ込んでフィルターの色や厚さや形を作ってしまう。
フィルター越しの世界があまりにも当たり前でフィルターの存在を疑うすべもない。
もしかしたら、このフィルターこそがその人をその人たらしめてる理由の一つなんじゃないかとさえ思ったりします。
「なんでフィルターに通さずに、そのまま受け入れる事が出来ないんだろう?」
↑
大事なことなので3回言いました(笑
20歳くらいでフィルターの存在に気がついたケンちゃんはエライ←ファンの欲目w
かつてケンちゃんが望んだように、フィルターを外してくっきりありのままに見える世界は、どのくらい輝いて見えるんでしょう
興味はあるけれど、
ま、なかなか難しいことです。
せめて、自分のフィルターがどんな色でどんな形でどのくらい歪んでいるのかっていうことを確認する努力だけはしていたいものですが・・・・
眠くて何を言いたかったのかわからなくなりました(;´д`)トホホ…
まあ、つまり、
いつまでも何かに疑問を持って探求するケンちゃんでいてほしい。
ってことです
ま、余計なお世話だってのはわかってますけどね~(;;;´Д`)ゝ
これまた老婆心てやつですかね~
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