白いハンカチの向こうに
今日、1月17日は神戸大震災があった日ですね。
神戸から遠く離れた青森にいても、あの日の事は昨日の事みたいに覚えています。
暗闇の中に燃え上がる炎や、ぐにゃりと折れ曲がり切断された高速道路、倒れかけたビル、ぺしゃんこに潰れた家々の屋根。
あの中に、まだ助けを求める人たちがたくさんいるのだと思うと、テレビの前で胸が締め付けられるようでした。
日本海中部地震のトラウマがあったので、まったく人ごととは思えませんでした。
そう言えば、あの頃、不思議な事があったのを思い出しました。
当時、ミジンコは実家のお店を手伝っていたのですが、店ではいつも有線放送を流していました。
流行歌のチャンネルやFM青森なんかを良く流してたんですが、
ある日、突然、
「FM大阪~」
って流れてきたんです。
へ?
なんで?
不思議に思ってチャンネルを変えてみても、FM青森が入らない。
さっきまでFM青森だったはずのチャンネルから流れてくるのは、なぜかFM大阪。
???????
???????
う~~~~ん???
よくわかんないけど、こっちの方が面白いからいいや
ってことで、その日以来FM大阪を良く聞くようになりました。
記憶がはっきりしないんですが、
たぶん、地震のあった数日~1週間前くらいの出来事だったと思います。
地震の後も、震災地神戸に近い大阪の放送局ということで、被害の詳細や地元ならではの情報を、刻々と伝えてくれて、新聞やテレビではわからないようなことも知ることができました。
どんな物資が不足しているのか。
どこにどんなボランティアが必要なのか。
インフラの復旧はどうなっているのか。
尋ね人のお名前。
所在の連絡。
給水場所や避難所の様子。
などなど、地元でなければわからないような詳細なことも、刻々と伝えてくれました。
その放送を聞いて、ミジンコも少しですが、マスクやうがい薬などの薬品、ホカロンやタオルなどの救援物資を送らせてもらいました。
そんな日々が続いたある日、
またまた突然、FM大阪はFM青森に戻ってしまいました。
そしてそれ以来、どんなに聴きたいと思っても二度とFM大阪が流れることはありませんでした。
おそらく、地震の時の電磁波とか何かの加減でそんな現象が起こったんでしょうけれど、ちょっとネットで調べてもよくわからなかったです。
テレビのチャンネルが変わったとかはあるらしいんだけど、もし、詳しい方がいらしたら是非解説してほしいな~。
でも、そのおかげで、遠い青森に居ながら、まるで地元で一緒に被害を体験しているような不思議な感覚になっていました。
だからこそ、自分がなんにもできないことが情けなかったですね~。
祈ることしかできない。
あの頃はまだ、祈りには力があるって思ってなかったからね
祈ることしかできないことがめちゃくちゃ情けなかった・・・・。
あれから15年経ったんですね。
月日の流れは否応なくて、どんなに留まっていたくても、生きている人は前に進まねばならないし、あれほどの情報も、いろんな人のいろんな想いも、後ろへ後ろへ運ばれて行く。
その流れの中に手を伸ばして、せめて忘れてはならない大切な事だけでも拾おうとしても、なかなか難しいことです。まして、起こった事のありのまま、思ったことのありのままを、伝えることは本当に難しいと思います。
例えば、サクちゃんが中学生の頃に体験した青森空襲の話をしてくれても、
ミジンコは想像しかできません。
サクちゃんの目の前で焼夷弾を浴びて炎に包まれて息絶えた先輩の叫び声や、苦しみ。
それを目の前で見てしまったサクちゃんの恐怖や不安や悲しみや怒りや絶望感。
家族と離れ離れになってしまった心細さや、
そんな時に声をかけてくれ安全な方へ手を引いて走ってくれた見知らぬ男の人の腕に感じた頼もしさや、
逃げまどった挙句ようやくたどり着いた親戚の家で母親の顔を見つけた時の安堵感や、
こぼれおちた涙の熱さも、
ミジンコは想像することしかできません。
そして、どんなに一生懸命想像しても、それはサクちゃんの記憶と同じものには成り得ません。
けれども、
一生懸命想像して、
『サクちゃんがこんなことを伝えていたよ。
あなたたちも、中学生だったサクちゃんがどんな想いだったか
一生懸命想像してみてね。』
ということくらいは、次の世代に伝えられるんだよね。
ミジンコはそれをサボってきたな~、と、今日はしみじみ反省しました。
25歳のイトキチにとって、神戸の震災はテレビの向こうの出来事だし、
日本海中部地震や、まして戦争の事は、まるで他人事みたいです。
知っていて当然と思って伝えて来なかった自分がつくづく情けなかったです(;´д`)トホホ…
こんなお話を聞いたことがあります。
その人は白いハンカチを取り出して、
「これは何だと思いますか?」
と、尋ねました。
その場にいた人は全員
「ハンカチです。白いハンカチ」
と、答えました。
「そうです。白いハンカチです」
その人はうなずきました。
「これは、がんで亡くなった一人の女性が、たくさんの涙を拭いたハンカチです」
その場にいた人たちはみんな、絶句しました。
その人は続けました。
「このハンカチには、その女性の悲しみやつらさやさみしさや怒りや感謝や、そんな想いがあふれて流れた涙が残っています。一人の人が精いっぱい生きた証が残った、とてもとても重いハンカチなんです」
いつどこで聞いた話だったか、遠い記憶の彼方なんですが、
聞いた時にものすごくインパクトがあったので、何かの折にはふと、このお話を思い出します。
一枚の白いハンカチの向こうにも、一人の重い人生がある。
起こった出来事についてはもちろんだけど、その出来事の向こうにある一人ひとりの人生の重さを想像することを、むしろ伝え続けなければならないんじゃないかって、思いました。
神戸の震災で亡くなった6434人の方、
ではなく、
そのお一人おひとりの人生に想いを馳せ、せめて一生懸命想像してみることができたら・・・と思います。
だいぶ前にも貼らせてもらった歌ですが、ミジンコにとって大切な歌なので・・・。
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「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
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コメント
ミジンコさん、おはようございます。
これから娘kikuとともに願書を出しに行ってきます。(ずっと別経路で行っていたんで行き方を教えなくてはならず…)
いよいよ来週初め、最初の受験になります。
こちらの方が何も出来ない分ドキドキです。
いつも就寝する前に布団の中でミジンコさんのブログを読んでいます。
昨夜も同じように軽い気持ちで読み始めたものの、「阪神淡路大震災」と「戦争体験」の話題が胸に突き刺さり、今日はAM5:00起きだというのにAM1:00過ぎまで寝付けませんでした。
震災が起こった日は私にとっても今も鮮明に心に残る出来事です。
話すと長くなってしまうのでそのことは私のブログにupしようと思います。
お母様の戦争体験の記述もすごく衝撃を受けました。
青森にも空襲があったんですね。
初めて知りました。
1年ほど前、あることに使うために沖縄戦について調べたことがあります。
あまりにも壮絶でネットで調べただけでも胸が締め付けられるほど辛かった…。
そういえば、ケンちゃんも以前沖縄の平和祈念公園を訪ねた時、耐えられず途中で出てきてしまったのでまた行ってみたいと何かの記事に書かれていました。
私も沖縄戦について実際こので見てみたくて沖縄行きを検討しているところです。
大震災にしても戦争にしても犠牲になった方たちの思いを無駄にしないで生きてる私たちがそれらを知らない世代に確実に伝えて行かなければいけませんね
投稿: AKI | 2010年1月18日 (月) 08時06分
震災や戦争のお話、イトキチさんに伝えるのは
いつからでも今からでも遅くないと思います
以前こちらにも書かせて頂いたかと思いますが、母方の祖父の戦争体験は、ほんの数年前に戦友会の文集で知りました。
この前、祖母から、青森大空襲から逃げた時の様子を訊きました。
おらも、まだまだ勉強不足です。
でも、もっと前に聞いてたかもしれないけど、やっぱり他人事だったのかも…
先日、広島の被爆者の方のお話をでやっていました。
平和公園に来た修学旅行生に、写真を撮ってくださいと頼まれるのですが、
カメラを向けると殆どの子供がピースサインをする
と嘆いておられました。
そして、まだまだ伝える努力が足りないと反省したそうです。
でも、その学生は、後々写真を見て悔い反省する事と思います。また、そう願いたいです。
私の修学旅行には、広島はコースになかったけども、いつか行けたらと思っています。
資料館にも。
その、白いハンカチのように一人一人の人生がある。
テレビや映画では伝えられないものがあります…
地震は、私も日本海中部、奥尻島、はるか沖地震の怖さを体験しているのですが…体験や想像を越えるものだと思いました。
神戸の震災の朝やその当時のことは、今も鮮明に覚えています。
できれば、私もFM大阪聞きたかったです。
なにか報道がだんだん少なくなると、風化するようでとても嫌でした。
ミジンコさんのブログを読んで、これからも、祖母たち、広島長崎、沖縄、戦争にまつわる話、災害のお話には、以前よりも耳を傾け、出来る限り想像し、私も次に伝えられるようにと思い始めました。
それにしても不思議ですね…
FM大阪…
投稿: うさきち | 2010年1月18日 (月) 13時31分
もう震災から時間がいつの間にか経って
世間では震災が過去になりつつありますね・・・
ミジンコさんみたく突然FM大阪が流れる!!事態や
私も震災の時には揺れを体験して電車がストップし通学出来なかったりとか
友達がボランティアに行ってたとか
友達が傾いた家を建て直す為に学生なのに借金したとか
実際にその時その瞬間を過ごした人と、体験して無い人にとっては
その辛い惨い大変だった事に対しての「想い」の返し方の表現方法は違ってくるもんですよね。
だからジレンマもあるけど、でもちゃんと伝わってる人には伝わってると思う。
青森でも空襲があったんですね。
私のご先祖様は戦争で亡くなった人が凄く多いので
今自分が生きてる事が奇跡みたいな気がします。
じいちゃんは大和じゃ無いけど戦艦に乗ってて爆撃されて、船のたった数人の生き残りの一人だし
父方母方の両ばあちゃんの男兄弟はみんな全滅。
戦争だってたった60数年前の出来事だし
震災だってたった15年前の事ですもんね。
戦争に関しては体験して無いので想いを馳せるだけしか出来ないけど
震災はまぁその時ちょっぴり大人だったので・・・
私は大変だった体験は少しだけしかしなかったけど
でもその事を伝える事は忘れたくないっなって思いました。
投稿: かずみ | 2010年1月18日 (月) 14時44分
FM大阪の件、不思議ですね、地震の電磁波のせい?たぶん。
でも、きっと、ミジンコさんがこの期間FM大阪を聴いたことは、必然だったのです!
聴かなければならなかった、そしてそのことについて、深く深く心を砕き考えこうして文章にすることも、必然だったのです。
15年前、ちょうど育休中で、長男を抱きかかえながら、大変なことが起きたものだと、なんとかして逃げ遅れている方たちを救う方法はないのか、自分も同じ境遇となったら母乳も出なくなってしまうのだろうなと思ったことを思い出しました。
でも、その後あまり悲惨な話を聞かないよう、見ないよう、読まないように過ごしてしまいました。
耳を塞ぎ、目を覆い、自分は傷つかないように・・・
宮本輝さんの小説を読んでいると、震災の話が出てきて、それを読むだけでも、相当な苦しみ絶望感を感じます。
ボランティアで今でも、当時の事を聞いてあげている方たちがいることを、先日ラジオで知りました。
15年の年月を経てもなお消えない傷、痛みを誰かに話すことによって救われる気がする方がまだ多くいらっしゃるそうです。
15年経ってようやく話ができるようになった方も・・・
サクちゃんの話を聞くことも、白いハンカチの話を聞くことも、それをミジンコさんの言葉で、このブログに発表することも、すべて必然なのです。
それをわいらが読むことができ、そのことについて色々考えることができるのは、なんとすばらしい縁に導かれた出来事!と言えるのでしょう。
2年を期にとかおっしゃってた件は冗談ですよね、こんなに意義のあるブログ閉じられちゃったら、なにを支えに生きて行けと言うんですか。←プレッシャーかけてます?毎日でなくても、疲れたら休んでもいいので、やめるなんて絶対言わないでくださいね。
>一枚の白いハンカチの向こうにも、一人の重い人生がある。
をわいが、わいの子供たちが感じとっていけるようになるためにも。
投稿: かづ | 2010年1月18日 (月) 14時52分
AKIさん、何気なく独りよがりに書いた日記をこんなに真剣に受け止めて頂いたことに、まず、胸が熱くなりました。
ありがとうございます。
睡眠不足にさせちゃったみたいで、すみません!
震災や戦争って普段はホントに忘れてるんですよね。
だからこうして、記念の日に想いを深めることも、そうして思ったことを外に出して更に想いを深めあうことも大切なんだなあって思いました。
AKIさんもあの日に何か特別な想いがあるんですね。
AKIさんの記事も早く読みたいです
沖縄戦は私も本やドラマやネットでしか知りません。
想像するしかないけど、想像して感じた想いを次の世代に伝えていきたいって思ってます。
AKIさんは沖縄行きを計画してるんだ!
子供たちが大人になってしまう前に実現すればいいですね!
私は広島の原爆資料館に子供たちを連れて行きたかったんだけど、できなかったので、今もずっと悔やんでいます。
>大震災にしても戦争にしても犠牲になった方たちの思いを無駄にしないで生きてる私たちがそれらを知らない世代に確実に伝えて行かなければいけませんね
ほんとそうですよね。
そして、悲惨な事から目をそむけないで!ということも是非伝えたいですよね。
kikuお嬢さんはいよいよ受験本番ですね~。
見守るしかできないってのも親の修行のひとつかも
体調管理に気を使いますが、頑張って~!
綺麗な桜が満開になりますように
投稿: ミジンコ | 2010年1月19日 (火) 00時19分
地震のあった日から数日~1週間、FM大阪が聞こえたんですか!
すごく興味深い話です。
地震の前後に電離層にスポラディックE層(Eスポ)というのが出来ることがわかっています。
Eスポが出来ると思わぬ遠距離の電波を受信することが出来るのです。
ただ、数日~1週間も続くのかなぁ?
よく、地震の前から発生するので、それが地震の予知につなげられないかと言われていますが、まだあまり具体的にはなっていないようです。
個人的に研究されている方はいるようですが…。
日本は環太平洋火山帯の真上に位置しているのですから、いつどこで地震がおこってもかしくないのに、
「自分のところは大丈夫」と思ってしまいます。
でも、人間は、経験したことで「学ぶ」ことが出来ます。
関東大震災、阪神大震災、そして戦争の体験も
絶対に生かしてほしいです。
ミジンコさんの記事を読んで「伝える」ことの大切さを思いました。
投稿: お京 | 2010年1月19日 (火) 00時37分
うさきちさんのお言葉をしかと受け止めましたよ!
うん、今からでも全然遅くないですよね。
神戸の地震もだけど、アンネフランクを知らなかったので、ビックリしてズーーーンと凹みました・・・
親として大人としての義務を全く果たしてこなかったな~って・・・
うさきちさんがお祖父さんの戦争体験を文集で初めて知ったように、知るタイミングはその人によって皆違うんだろうけれど・・・
うさきちさんのおばあさまも青森空襲体験してるんですね。
先日テレビでやってましたね。
焼夷弾の事や当時の政治の事や、知らないことが多すぎる!って、思ったよ。
うさきちさんの言うとおり、もっともっといろんなことに興味を持って知っていかないと次の世代に伝えることもできないものね。
まず自分たちが知ることが先決みたいだね
>平和公園に来た修学旅行生に、写真を撮ってくださいと頼まれるのですが、
カメラを向けると殆どの子供がピースサインをする
想像できないってこういうことじゃないかな。
私も新婚旅行で行ったサイパンでゼロ戦のプロペラに寄りかかって撮った写真があるんです。
今はすっごく後悔してて恥ずかしくって見るのも嫌で、でも、未熟だった自分を忘れないようにとってありますが、広島でピースサインをした子供たちもいつかはそこで亡くなった一人一人の人生に想いを馳せる日が来るんじゃないかな。
そのためにも伝え続けていかなきゃならないって思います。
ホントに独りよがりな文章を真剣に受け止めて下さってありがとう。感激して心が震えたミジンコでした
FM大阪、なんだったんでしょうね?
投稿: ミジンコ | 2010年1月19日 (火) 00時44分
かずみちゃん、こんばんは!
かずみちゃんは震源地に近かったから、遠い青森に住むミジンコよりもずっとずっと震災が身近でしょうね。
遠く離れた場所にいても、あの大震災はほんとに怖かった。
まだ学生なのに家のために借金するって・・・胸が詰まるね・・・。
>実際にその時その瞬間を過ごした人と、体験して無い人にとっては
その辛い惨い大変だった事に対しての「想い」の返し方の表現方法は違ってくるもんですよね。
だからジレンマもあるけど、でもちゃんと伝わってる人には伝わってると思う。
うん、そうだね!
人間は一人ですべてを体験することはできないけど、
だからこそ共感という素晴らしい手段を持ってるもんね!
ジレンマを感じつつも伝えることをあきらめないことが大事なんだろうね。
かずみちゃんの身内も戦争体験者がたくさんおられるんですね。
日本全国そんな家庭がいっぱいあったでしょうけど、うちも母方はほぼ全滅らしいです。祖父は広島で被爆したらしいんですがついに亡くなるまで詳しい話は聴けなかったなぁ・・
もっときちんと話を聞いておけばよかった、と、今になって後悔してます。
青森空襲の話も、サクちゃんが達者でいるうちにもっといろいろ聞いておこうと思ったよ
知らなければ伝えられないもんね。
伝承って、考えてたよりもずっと大事な事なんだな~って、昨日はしみじみ思ったよ。
あきらめないで知って、あきらめないで伝えていきましょうね!
投稿: ミジンコ | 2010年1月19日 (火) 02時04分
かづさん、こんばんは~!
大震災の時かづさんは乳飲み子を抱えてたんですね。
受け止め方も母親目線だったでしょうし、より深刻だったと思います。
あの時はホントに、何もできないことが悔しかったよね~。
>15年の年月を経てもなお消えない傷、痛みを誰かに話すことによって救われる気がする方がまだ多くいらっしゃるそうです。
15年経ってようやく話ができるようになった方も・・・
話せないほどの悲惨で残酷な体験をされた方がたくさんいらっしゃるってことですよね。
時間が癒してくれるって言うような簡単な事ではないんだよね。
向き合わなければ癒されないことがあると思う。
その向き合う勇気をくれるのは、一緒に向き合って想いに耳を傾けてくれて受け止めてくれる人たちの「想い」なんだよね。
そういうボランティアがあるって知らなかったので、すごく感激しました
一人でも多くの方が癒されますように!
必然ですか。うん、きっとそうだと思います。
世の中に偶然なんてないそうですから。
あの時、FM大阪が流れなかったら、今また違う感じ方だったかもしれないし、こんな日記は書かなかったかもです。
かづさんと出会った必然を噛みしめるためにも、
がんばってブログを続けますよ
これからもよろしくね!
あ、宮本輝さんの本て?読んでみたいので題名教えて~(o^-^o)
投稿: ミジンコ | 2010年1月19日 (火) 02時36分
うっかりお京さんに気付かないまま閉じるとこだった
おお~!さすがお京さんは詳しいですね!
スポラディックE層?舌を噛みそうですW
Eスポって言うんですか。
FM大阪が聞こえてたのは地震の数日前からですよ。
突然聞こえ始めて、数日後に地震がありました。
そして地震の後、記憶が定かではないけれど2W~3Wは聞こえてたと思います。
昨日の事も定かじゃないのに15年前の事はかなりおぼろですが、地震の前から聞こえてたのは確かですよ、うん
あまりにも不思議だったので忘れられません。
地震予知の研究データに加えて頂きたいわ~。
たしかに普段は「自分の所は大丈夫」って思っちゃうよね。
でもこの頃地震が多いし、もう一度震災時の行動点検した方がいいよね。
悲惨な経験が忘れられて未来の糧にならないのだとしたらこれほど悲しいことはないと思うので、
良く知ってあきらめずに伝えるって、すごく大切な事だなあって追悼番組を見ながらしみじみ思いました。
投稿: ミジンコ | 2010年1月19日 (火) 02時58分
すいませーん、ミジンコさん
おら、あんまり文章が長くなったので、一番大事なことまで割愛してしまったみたいで
ピースサインの子どもたちについて…
そのとおりです。
話には聞いていても想像できなかったのはもちろん、資料館を見学する前だったかもしれない…
なにより、私もその年代に、修学旅行なんかで行ってても、同じ事をしたかもしれません…
もしかしたら、どこかでそんな写真を撮ってしまって、未だに気がついていないかも…
ミジンコさんは気付いたのですから、素晴らしいと思います
もっともっと知りたいと思ったうさきちでしたm(_ _)m
投稿: うさきち | 2010年1月19日 (火) 21時08分
うさきちさんって、なんぼめんこいっきゃ
わざわざ付け加えに来て下さったんですね。
ありがとうございます!
>なにより、私もその年代に、修学旅行なんかで行ってても、同じ事をしたかもしれません…
もしかしたら、どこかでそんな写真を撮ってしまって、未だに気がついていないかも…
私もいまだにそう思ってるよ
気がついたのはサイパンのだけで、もしかしたら違うところでも・・・って焦ることあるもの。しかもサイパンに行ったのはいい歳の頃
まあ、自分が後悔したからこそ、もっともっとたくさんの事を知って伝えなきゃなって思うんだけどね
ケンちゃんも以前そんな事を言ってたような・・?
今度お茶しながらいっぱいお話ししたいですね~
投稿: ミジンコ | 2010年1月20日 (水) 00時14分