すべての山に登れ
弟が、どうしても行きたいという講演会があったので、仙台まで行ってきました。
ここへおいでの皆さまにも、たくさんたくさん、心配していただいて、たくさんたくさん、励ましていただいたおかげで、弟は9月半ばに歩いて退院できました!
ご報告がこんなに遅くなって申し訳ありませんo(_ _)oペコッ
ほんとにほんとに、ありがとうございました!
感謝の気持ちが言葉にならず、情けないです。
半年前にはまだ、24時間の介護が必要と思われていたのに、めきめき回復して、短い距離なら一人で歩くことができます。車いすなしでも、誰かの腕に掴まれば、どんどん歩けます。
言語療法士の先生に、お盆までには柔らかいお刺身が食べられるようになれればいいね~、って言われてたのに(ドクターは無理って断言してた)、お刺身どころか、さらさらした液体さえもペットボトルから直接ごくごく飲めるようになりました。たまにむせて心配させますが
今は通所リハビリに励んでいます。
言葉は少し聞きとりにくいですが、普通に話もできます。
さすがに、今は英語は言わないです(笑
当時の日記
でも、仙台まではバスで約5時間。
退院してから初めての遠出です。
花さんが仕事の都合で介添えできないのでミジンコがお伴しました。
バスなのでずっと座りっぱなしは健康な人でもキツイので、弟が疲れないか心配しましたが、驚くほど元気なまま往復できました~
講演は、長い間、終末期医療のターミナルケアに携わってきた看護師さんのお話でした。
1000人以上ものがん患者さんの最期を看取ってきた方です。
ご自身もがんを抱えながら、命の現場で、生と死を見つめてきた看護師さんの言葉はさすがに重みも深さも違いました。
その方が看護師になった頃には、終末期医療、緩和医療、ターミナルケアという言葉も概念もなく、痛みをコントロールする医療用麻薬もポピュラーではなく、末期がんの患者さんは、ただただ痛みを我慢するしかなかったこと。
形相が変わるほどの痛み苦しみを、ただ見ているしかなく、
「看護婦さん、僕は、死ぬんですか?」
苦しみの中からそう問いかけた20代の青年に、なにもこたえられなかったこと。
苦しむ患者さんを前にして、何もしてあげられないばかりか、目の前の地獄から目をそらしたくてむしろ死期の近い患者さんの病室から足が遠のいてしまったこと。
自分は何のために看護師になったのだろう?
自らの無力さと、情けなさをかみしめる日々・・・。
『自分ががんと宣告されて、初めて、がん患者が抱えているのは肉体の痛みだけじゃないことに気がついた。
抗がん剤の副作用、再発の不安、経済的な心配、社会から隔絶されたような疎外感、何よりも、一人死んで行かねばならないことへの底しれぬ恐怖、世界から切り離され、自分の存在意義を見失いそうになるほどの圧倒的な孤独。
それらの痛みが、肉体の痛みを増強させてしまうことにも気がついた。
それまでの自分は、患者さんの肉体的な痛みにしか関心を持っていなかったのではないか。
今まで自分は何をしてきたのだろう。
それまで見送ってきた患者さんに申し訳なくて涙があふれてきた。
このことに気がつけただけでも、自分はがんになってよかった。
心の底からそう思った自分に驚いた。
偶然か、それとも必然だったのか、手術後復帰した病院で緩和医療に取り組むことになり、セミナーに通った。
そこで、すでに終末期医療に取り組んでいる医師や看護師に出会い、いろんな話を聞くことができた。
自分の中で、何かが爆発した。
「わたしは、これがしたかったんだ」
涙が止まらなかった。
少しづつ、患者さんにきちんと向き合えるようになっていった。
医療用麻薬や神経ブロックによる疼痛治療もだんだん進化して、昔みたいに耐え難い痛みに苦しむ患者さんは少なくなった。
それでも、薬や手術だけでは補いきれない痛みが存在する。
肉体の痛みよりも強烈な痛みが確かに存在することを知っている。
かつては、死期の近い患者さんのそばに行くのがあんなに怖かったのに、
今は、死期の近い患者さんのそばに座って、心の内を聴かせてもらう時間が、なによりも大切な時間になった。
一人ひとりの患者さんの人生を共有させてもらうことが、何よりもうれしい。
心を開いて、心の内にため込んでいた滓のようなものを吐き出すだけで、見違えるように明るく前向きになる患者さんがたくさんいる。
家族との絆を結びなおし、友達との友情を再確認し、周りの人たちがどれほど大切な人たちであったのかに気がついて、ありがとうと言って亡くなる人もたくさんいる。
周りの人との絆が実感出来れば、死んでいくことへの恐怖や不安よりも、感謝の思いだけがあふれてくるのだということを、さまざまな患者さんに見せていただいた。
苦しみの中で世界を呪いながら亡くなる人が一人もいなくなって、
すべての患者さんが、ありがとうって言って大切な人たちとさよならできるなら、
自分は、ずっと、そのためのお手伝いをしていきたい。
看護とは看て護ること。
それは、その方の肉体だけではなく、心ごと魂ごと看護させていただくことだと思う。
終末期医療に関わる中で思い出したことがある。
中学生の頃、肺炎で入院した病院裏に粗末な小屋のような建物があった。
「死にそうな人はみんなあそこへ行くんだ」
同じ病室の人がそう言った。
怖いもの知らずな中学生だった自分は、興味半分で見に行った。
真っ暗で日も当たらないような部屋に、かぼそいうめき声だけが聞こえていた。
怖かった。
こんな所で死んで行くなんてかわいそう過ぎる!
こんなさみしい死に方をさせちゃいけない!
悲しみと怒りで、体が震えたことを、思い出した。
大人になって、すっかり忘れてしまっていた出来事だけれど、
思えば、あの時から、終末期医療へのかかわりは始まっていたのだろう。
がんという病気になったことも、神様からの大切なプレゼントだったように思える。
試練は、大事なことを思い出させてくれる。
試練は、大切な願いへ、本当にやりたい仕事へ、導いてくれる道案内のようなもの。
今は、そんな気がしてなりません。』
ほんとに心をぶち抜かれるような、すばらしいお話でした。
トホホすぎる毎日を送ってるミジンコなので、襟を正さずにはいられないような真摯さがグイグイと伝わってきて、涙涙また涙・・・
ミジンコがこんなにだらしなく生きてるこの瞬間も、ひたむきに生と対峙してる人や、その人に寄り添い癒そうとしてる人たちがたくさんいるのだな・・・・。
そう思ったら、なんだか、すごく恥ずかしくなってしまいました。
正直、行く前は、道中弟に何かあったら・・・とか、トイレはどうしよう・・・とか考えてるうちに面倒になっちゃって、行きたくね~!なんて思ってたんですが、行って良かった
弟もミジンコの隣で、涙涙…涙でした
退院してからというもの、奇跡的な回復とは言え、以前よりはずっと不自由になってしまった自分の体を受け止めきれず、ちょっとネガティブになっていた弟です。
看護師さんのお話が、すごくすごく心に響いたみたい。
少し前向きになってくれるかな。くれたらいいな
帰りのバスの中で、この歌を思い出しました。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」の中のすべての山に登れ
高校生の頃にこの映画を観た時には取り立てて好きな曲でもなかったんですが、多少なりとも人生の紆余曲折を経て大人になった今聴くと、胸にしんしんとしみわたります。
いい歌だな・・・・
すべての山に登り
高き低きをたずね
あなたが知っているすべての脇道と
すべての小道を辿りなさい
すべての山に登り
すべての川を渡り
すべての虹を追いなさい
あなたの夢を見つけるまで
生きている限り
あなたが与えうる愛すべてを
日々傾けられる夢を
見つけるまで
すべての山に登り
すべての川を渡り
すべての虹を追いなさい
あなたの夢を見つけるまで
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